人と争う人生
僕のこれまでの人生は、常に人と争って勝つために生きてきた.。
過去のブログのように僕は、色んな人たちから馬鹿にされて生きてきた。
それに対して僕は、諦めたわけではない。
ただただそれに抵抗したかった。
誰よりも特異な人間、特別な人間になりたい。
そして人に馬鹿にされない必要とされる人間になりたい。
それだけだった。
僕が努力してそれなりの成果を出せば、僕を見直してくれる
そして自分の承認欲求が満たされるそう思っていた。
だから僕は、常に誰かと争うことをモチベーションに生きてきた。
大学受験の成功
全ての始まりは大学受験だった。
僕の高校は偏差値が地元で下から2番目の馬鹿高校。
周囲には、不良みたいな人間や一癖も二癖もある人間に囲まれていた。
その中で中学の同級生には、馬鹿高校というレッテルで馬鹿にされたし、
同級生は見た目の悪さからほぼいじめのような、いじりを受けた。
それが僕にとってただただつらかった。
正直高校時代の思い出でよかったことはほとんど出てこない。
修学旅行に関しては、記憶すらほとんど残っていない
よっぽどつらかったのだろう。
それを変える数少ない手段が受験だった。
そしてその時、僕は、特異な人間になりたいという願望も重なり
無理やり理系の国公立大学を目指すことにした。
僕の高校は、文系私立の大学に何とか入れて実績を上げようというところだった。
だからこそ、周りに理系の人間どころかまともに理系科目の授業すらしてくれなかった。
先生たちは、何度も僕に文系への転換を求めた。
しかし特異な人間になりたい、今の状況を打破したいという
プライドが彼らにノーを突きつけた。
その逆境が功を奏して、僕のモチベーションは爆上がりで
これまでにない集中力で勉強した
そして、奇跡的に大学に合格できた。
クリエイティブとの出会い
理想の特異な人間になれなかった。まだ足りない。もっと努力しなければ・・・
僕が大学に入って感じた感情である。
確かに周りの人間は、高校に比べて格段に人間性をともなった人たちだった。
しかし僕の馬鹿にされるという立場は変わらなかった。
大学でもバイト先でもその他のコミュニティでも僕は常に馬鹿にされた。
そのおかげで嫌われることはなかったかもしれない。
しかしこれだけ努力して今の地位に立ったのに結局これか・・・
僕は、絶望した。
そして思った。
もっと高みにいかなければ人々は、僕を認めてくれない。
まず僕は大学2年になったあたりから考えた
とにかく考えた。特異の人間そして人々に賞賛される人間になるにはどうしたら良いか?
たどり着いた答えがクリエイティブの世界だった。
二つの無謀なチャレンジ
僕は、大学受験の成功体験もあり、挑戦・努力すればどんな無謀なことでも
成功できると信じていた。
だからこそ僕は、2回の大きな挑戦をした。
一つは、芸術大学への編入。
クリエイティブな作品を作るための知識
そして、クリエイティブな企業に就職するためには
芸術大学卒が不可欠だと思った。
僕は、今は、流行りつつあるも当時は無名だったBlenderというCG制作ソフトを
独学で勉強し、これを手土産に希望する大学の教授のもとに面接に行った。
CGの知識がなかった僕にとって、苦戦の連続だった。
今思えば到底美大生を目指す人間とは思えない作品
でも当時の僕は、これまで以上の集中力で努力した。
そして何とか教授を説得して、編入試験を受けるチャンスを得た。
しかし僕は根本のミスをしてしまう。
実技試験、専門科目の試験は合格したのだが、英語の試験で不合格という
まさかの展開になってしまった。
僕は、専門知識、作品作りに必死で大切な試験を一つ失敗してしまった。
僕の夢は、散り、数ヶ月の鬱状態になり、この挑戦は終わった。
次の挑戦は、就職活動。
どうしてもクリエイティブの世界を諦めきれなかった僕は、
某エンタメ企業への面接に挑んだ。
そこは、当時超巨大企業で、倍率も1000倍以上と
ほとんどの学生が思い出受験をするような場所だった。
でも僕は、本気だった。
周囲は、またあいつ無茶なことをやっているという目で見ていた。
しかし僕はそれを見てみぬふりをして挑戦した。
気づけば1次面接、2次面接、3次面接、4次面接と進み残り2回の面接を残すのみとなった。
周囲も僕を見る目が変わった。
こいつ本当にあの会社に行けるのではないか?
色んな人にすれ違うたびに僕は、期待の言葉をかけられた。
その時僕は、初めて人に見直されるという感覚に襲われ、嬉しくなった
人に認められるとはこういうことなのかと理解した。
しかしその反面、うまくいくのが怖いという意味不明の感覚に襲われた。
成功へのプレッシャーそして今まで失敗だらけだった人生に対して、
成功に慣れておらず、どことなく不安を感じていた。
面接の前日は震えて、なかなか寝付くこともできなかった。
そして5次面接僕は、失敗した
緊張と不安でほとんどうまく話せなかった。
夢まであと2歩だったのに・・・
僕は一時間近くその場を動くことができなかった。
もっとひどいのは周囲だ。
周囲は僕に気を使ったのかそれとも眼中から外されたのかわからないが
言葉を交わしてくれる人がほとんどいなくなった
うまくいっていた時はあれだけ人が寄ってきていたのに。。
あんな無茶なことをして馬鹿だなと言われているかのようで
僕は人間が嫌いになった。
そして、挑戦することが怖くなった。
挑戦の果てと未来
僕は、挑戦すること、成功することに恐怖し、安定して生きることに決めた。
無謀な挑戦はせず真っ当な会社で普通に生きる。
それが正しいことなのだと自分に言い聞かせた。
僕には、挑戦しても成功する才能がない心の中でずっと言われ続けているようだった。
某IT系に入り、何とか生きることはできた。
しかしそこで待っていたのは前回の記事のこと。
結局僕は、成功する才能がないのではなく、人生を楽しむ才能がないのだとわかった。
それならこれからも無謀なことを挑戦してみよう。
僕は、今になって再び挑戦を志すようになった。
これからまた失敗し、メンタルを壊すことがあるかもしれない。
でも何もしないもまた地獄。
それならやりたいことに挑戦していっぱい勉強して、生きた方が楽しい
今ではそう思えるようになった。
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